君は神様稲尾を知っているか?
プロ野球開幕し、二ヶ月が経ちました。近年はダルビッシュ投手とか西岡選手、坂本選手などスタイリッシュな選手が多くなりましたが、物足りなさを感じるのは私だけでしょうか?
かつて、西鉄ライオンズに稲尾和久という投手がいたのをご存知でしょうか?2007年に残念ながらなくなられました。かく言う私も現役時代は知りません。物心ついてから知ったのは、ロッテの監督時代からです。あの一癖ある落合博満選手が稲尾氏を敬愛していたという事実をもってしても、ただならぬ存在だと当時、子供心に感じていました。
通算276勝というのは、金田正一投手の400勝に比べれば、ふつうにすごいというものでしょう。当時の西鉄ライオンズは大下弘、中西太、豊田泰光、仰木彬という錚々たるメンバーと共に「野武士軍団」と言われていました。1956年から1958年にかけての3年連続日本一となり、その時代が黄金期でした。特に1958年の巨人とのシリーズでの、3連敗後の4連勝は伝説となっています。稲尾投手はすさまじい活躍を見せました。7試合中6試合に登板し、5試合に先発し、4完投。第3戦以降は5連投。3連敗の後、崖っぷちの第5戦は、自らのサヨナラホームランでシリーズの流れを変えました。福岡の新聞には「神様、仏様、稲尾様」の見出しが踊ったそうです。
また、記録面で特に私がすごいと思うのは、1961年の「1シーズン42勝」です。78試合に出場、先発で30試合、リリーフで48試合に登板しましたが、その内容は42勝14敗、404イニング、三振353、防御率1.69、いずれも桁外れです。不思議なのは、同年の西鉄は3位だったという事実です。当時は140試合制で西鉄の勝ち星は81勝でしたが、その半分以上が稲尾様のおかげです。
1985年、阪神の中継ぎ福間納投手がこの記録を抜きそうになった時に、稲尾さんに遠慮して77試合でストップをかけたことがありました。2005年に、阪神の藤川球児投手が、80試合登板して記録を塗り替えましたが、わずかに92+1/3イニングに過ぎません。
記録だけを見れば、ですが、最近の選手はほんとうに小粒ですね。1998年などはパリーグの最多勝がわずか13勝(西武西口文也、ダイエー武田一浩、千葉ロッテ黒木知宏)でした。2008年のパリーグの最多勝は楽天の岩隈久志投手で、久々にハイレベルなものでありましたが、内容は、28試合に登板し、21勝4敗、201イニング、三振159、防御率1.87で、成績的には稲尾投手のちょうど半分です。完投数で言えばわずか5試合だけです。
時代が違うといえば、それまでですが、また、とてつもない豪傑を見たいですね。昔のエースとは、前日に完投していても、チームがピンチになれば、リリーフで出て行くのが当たり前でした。1970年後半まではまだそうだったと記憶しています。今は、投手分業制が確立し、そのようなむちゃぶりは無くなりました。いにしえの西鉄野武士軍団、この眼で見たかったですね。近鉄時代の野茂英雄投手にはその匂いを感じましたが、あれが最後かもしれません。
かつて、西鉄ライオンズに稲尾和久という投手がいたのをご存知でしょうか?2007年に残念ながらなくなられました。かく言う私も現役時代は知りません。物心ついてから知ったのは、ロッテの監督時代からです。あの一癖ある落合博満選手が稲尾氏を敬愛していたという事実をもってしても、ただならぬ存在だと当時、子供心に感じていました。
通算276勝というのは、金田正一投手の400勝に比べれば、ふつうにすごいというものでしょう。当時の西鉄ライオンズは大下弘、中西太、豊田泰光、仰木彬という錚々たるメンバーと共に「野武士軍団」と言われていました。1956年から1958年にかけての3年連続日本一となり、その時代が黄金期でした。特に1958年の巨人とのシリーズでの、3連敗後の4連勝は伝説となっています。稲尾投手はすさまじい活躍を見せました。7試合中6試合に登板し、5試合に先発し、4完投。第3戦以降は5連投。3連敗の後、崖っぷちの第5戦は、自らのサヨナラホームランでシリーズの流れを変えました。福岡の新聞には「神様、仏様、稲尾様」の見出しが踊ったそうです。
また、記録面で特に私がすごいと思うのは、1961年の「1シーズン42勝」です。78試合に出場、先発で30試合、リリーフで48試合に登板しましたが、その内容は42勝14敗、404イニング、三振353、防御率1.69、いずれも桁外れです。不思議なのは、同年の西鉄は3位だったという事実です。当時は140試合制で西鉄の勝ち星は81勝でしたが、その半分以上が稲尾様のおかげです。
1985年、阪神の中継ぎ福間納投手がこの記録を抜きそうになった時に、稲尾さんに遠慮して77試合でストップをかけたことがありました。2005年に、阪神の藤川球児投手が、80試合登板して記録を塗り替えましたが、わずかに92+1/3イニングに過ぎません。
記録だけを見れば、ですが、最近の選手はほんとうに小粒ですね。1998年などはパリーグの最多勝がわずか13勝(西武西口文也、ダイエー武田一浩、千葉ロッテ黒木知宏)でした。2008年のパリーグの最多勝は楽天の岩隈久志投手で、久々にハイレベルなものでありましたが、内容は、28試合に登板し、21勝4敗、201イニング、三振159、防御率1.87で、成績的には稲尾投手のちょうど半分です。完投数で言えばわずか5試合だけです。
時代が違うといえば、それまでですが、また、とてつもない豪傑を見たいですね。昔のエースとは、前日に完投していても、チームがピンチになれば、リリーフで出て行くのが当たり前でした。1970年後半まではまだそうだったと記憶しています。今は、投手分業制が確立し、そのようなむちゃぶりは無くなりました。いにしえの西鉄野武士軍団、この眼で見たかったですね。近鉄時代の野茂英雄投手にはその匂いを感じましたが、あれが最後かもしれません。
広報委員会委員 奥田 穣司
(2009.6.1データ更新)
(2009.6.1データ更新)